「最近の学生は授業が多すぎてかわいそう」
ってよく言われます。
でも、それは半分正解で半分誤解。
そもそも自分の時は、
大学で教わると言うより、自分で学ぶ。って言う感じだった。
指導教官のゼミは、4年生で配属されてから1年で確か3回くらいしかなかった。
だからこそ、プロフェッサーアーキテクトから一言もらうために必死になって作品を作った。
大学に入ってすぐに10人くらいずつ教授の部屋に訪れ話を聞く授業があった。
そこで言われた。
「君たちはバカなんだ。東大でも京大でもない。君たちより頭のいい人なんてごまんといる。」
「だからこそ本を読みなさい。」
建築の本なんか、何言っているかわからなかったけど、とにかく読んだ。
心踊らせて受けた初めての建築デザインの授業では、
毎週、図面をトレース課題がでた。
前期、毎週図面をトレースして提出していた。よくわからない中とにかく図面をひいてた。
それに加えて、建築家作品の写真集から写真を選びスケッチしなさいというものがあった。
授業では図面の書き方は(確か)教えられたけど、スケッチに関しては特に何もなし。
15枚も書けばうまくなるでしょう。
ってな感じ。
A+からDまで、ただそれだけ書かれて翌週帰ってくる。それが楽しみで頑張った。
基本的に、学ぶのは自分。技術は教えられるものではない。
当然、adobeもCADも、3Dも、全部自分たちで学んだ。
習うより学べ。盗め。考えろ。導き出せ。
その努力があっていたらたくさんコメントがもらえて、あっていなかったらあんまりコメントはもらえない。努力しないとコメントは皆無。
10年前のお話。
今の教育と比べると隔世の感がある。
とまぁ、昔を振り返るのはこんなところで。
ここで半分誤解の説明を。
そもそも昔の皆さんが授業に出てなかっただけで、授業数変わらないわけですよ。そもそもたくさん課題とかやることは出てた訳で、授業に出ることよりもあるレベルに到達しているかで評価されていた。
授業出るか出ないが重要視されない構成だった訳です。
半分正解の話を。
つまりは、自分で頑張って力つければいい訳ですよ。って話。
さて、今日は、1年生のスケッチ課題。
遠近法の書き方、影の付け方、絵のエスキス、と、3週かけてオンライン講義で、今日が講評会だった。
学校に来れない、そんな中で学生が書いてくれた絵は、とても、とても、力強くて、
本当によく頑張ってくれていた。
正直、感動した。
よく、ここまで書き込んでくれたな、って。
そこには、きっと、自分と向き合って、必死に頑張っていた彼らがいたんだろう。
コロナ世代、なんて、よくわからない言葉が、今後出てくるのかもしれない。
ちなみに僕はゆとり世代1期生だから、
そんな事言う人もいたけど、そんなの気にも留めなかった。
コロナ世代、で、いいじゃないか。
この難局で、家で、自発的に頑張った学生は、
そんなレッテル吹き飛ばすくらいの力がゆうにつく。
「今の学生は忙しい。同時に、専門分野に関して、すごく頑張る。真面目だからこそ授業をきちんと吸収する。そして根気強く頑張れる力がある。」
そんな事を思った金曜日でした。
zoomの授業、
まだ大学にきたことのない学生たちは、
自分の絵がきちんと教員に評価されて、嬉しそうでした。
教員3人で、わちゃわちゃと話しながら講評会を行う姿を、
嬉しそうに、楽しそうに聞いている学生の姿は、
学ぶ喜びに満ちていました。
そんな姿に、教える喜びも教えてもらいました。
授業に関してはあんまり書かないんだけど、今日はちょっと心が高ぶったので。
遊ぶのも大事だけどね。
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