卒制ってなんだろう。
これ、みんながどう捉えているのか、本当によくわからない。
なんのためにあるのかな?
学校の成績のため?
それとも学外で評価を受けるため?
よくわからない...。
他方、自分の中での基準は割と明快。
これは、面白い未来を描くための第一歩。
こんな世界線があったら、最高に面白いじゃん。という。
だから、卒制の最終に至る前のエスキスでは、
時に厳しい言葉も投げかける。
でも、昨今の学生は、授業、として受けていて、
学内の評価、
のために聞いているのかもしれない。
そうなると、途端に言葉は刃物と化す。
だから最近はもうしゃべらない。
見ている世界が違うと悲しい。
でも、俺が喋るのは、
社会を変える可能性がある提案に。
日本の建築を進める可能性がある提案に。
今、社会にない新しいものが生まれる可能性に。
そう決めた。
そもそも、建築家とは、
多分、設計が上手なだけの人を指さない。
そして、設計が上手なだけなのは、これから先はAIが担うだろう。
AIが得意なのは、これまでに試みられてきたことを、
上手に統合し、さらなる上手を生み出すこと。
1-10とか、10-100が得意。
でも、そもそものデータがないと何も動かないので、
0-1はつくれない。
であるならば、これからの建築人は、
0-1をつくることが、
人間が人間である条件な気もしている。
ということで、0-1を生み出すこと。
その挑戦をする。
というのが、卒制のあるべき姿なのかもしれない。
そんなことを、よなよな思うわけです。
建築家、
って、
次なる社会を見据える人なんだと思う。
だから、単純に上手な設計
は当然に、
今とは違う可能性を示してほしい。
とも思う。
建築は、哲学と技術でできている。
今の時代だからこその哲学か、
新しい技術としての建築、
を提案できたら最高だ。
それは実務でも空想でも構わない。
卒制では、そんな作品に出会いたい。
そして、一緒にワクワクできたら。 そんな想いで、年度末に勤しもう。
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