石巻市の場合、津波で被害を受けた箇所は災害危険区域に設定されました。そして、被害を受けた世帯は高台に移転することで津波に強い集落ができています。
一方で、津波後に集落に戻る人口は極端に少ないという現実もあります。
災害に強い集落は減少した人口を維持することは可能にしますが、集落の上限世帯数を決めてしまう危険性も孕んでいるのです。持続可能な集落を実現するには、高台移転地以外にも居住ができる場所を見出す必要があると考えました。
そこで着目したのが山裾です。
三陸沿岸漁村は、ひとつひとつの集落が山を隔てて離れており、独立性の高い集落が点在しています。交通が未発達の時代、人々は船や山道を利用して隣町や街場に出かけていましたが、たいていのものは集落で手に入れられるようにしていました。実際、ヒアリング調査をすると、昭和初期の集落には実に多様な職能があったことがわかります。食べ物に関しても実に豊かな食生活が形成されていました。眼前の海から豊富な海産物を得て、山裾に広がった畑から野菜や炭水化物を得て、山から四季の恵みをえる生活でした。
ここで重要なのが「畑」です。昭和の空中写真を見ると明らかなのですが、基本的にはどの集落にも「畑」が広がっています。
そこで「畑」の明治以降の土地利用の変遷を見たところ、過去の津波被害からの復興において畑の宅地化をしている事例が多く見られました。
つまり、木の生えていない平地=畑地が迅速な復興を支えたと考えられます。
もものうらビレッジは、このような「かつての畑地」を再開発することで、山裾を生活領域として再定義するプロジェクトです。
地域の文化に学び、これから先のあり方を考える。
山裾に広がる新たな集落景観の提案
それがもものうらビレッジが目指したものです。