top of page

漁師になりませんか。

  • nobusato
  • 2019年3月3日
  • 読了時間: 3分

この言葉を言い始めた時、チームはとても小さかった。手漕ぎボートを3人で漕いでた感じ。一人が休んだら二人が必死にこぐ。漁業系ベンチャーの子と、漁協の若手と、学生の僕と。 言葉に責任を持つ、ということに少し恐れていた部分もあった。 事業を立ち上げたFISHERMAN JAPANも、その周りの我々も、できることなんかほとんどなく、できないことだらけだった。

五里霧中。暗中模索。知らないなら調べ、見に行き、走る。

毎日に近いくらい連絡をとっていた。

それが2015年。博士最後の年でした。

博士の最初の年、「漁師を受け入れる」ための漁師学校を始めたのですが、

実際には漁師を受け入れる壁はとても高く。

なんだかやりきれない気持ちを抱えながら活動を続けていました。

そして2015年。いろいろあって、アクセル全開で博士を進んでいたら修了が見えて来ました。

筑波を離れるかもしれないという未来が見え始めた時、復興支援ののちに石巻に移住するという、僕には結局できなかった大決断をした友人から、FISHERMAN JAPANが会いたがってるよ。という連絡を受けました。

事務局長は、たまたま大学の大先輩。この人と一緒に挑戦したいな、と思い、

博士最後の1年は、「漁師を受け入れる」体制を作ることに全力をかけることにしました。

体制をがむしゃらに模索し、立ち上げ期のサポートをしました。当時は尖っている全盛期。ひとまわり近い、もしくはそれ以上離れている大人たちに噛みつきまくっていました。その頃はみなさん、ご迷惑を...。 その後、つくば延長戦の世界遺産時代、名城大の現在と微力ながら手伝っているけど、僕はキャラでいうとヤムチャくらいの立ち位置。最初は力になれたけど、栽培マンあたりからは無力で、いつしか天下一武道会とかにはギャラリーでいるくらいの登場頻度に。そんな感じ。

FISHERMAN JAPANは強力な仲間がどんどん増えていって、手漕ぎボートだった船ではすぐに手狭になり、乗船している船はメリー号になっています。(今度はワンピースかよ、と。)イーストブルーで所狭しと戦うFJは、そろそろグランドラインを目指しているのか、サウザンドサニー号に乗り換える準備もしているようです。 海の仕事を知り、海につながる場をつくって、漁師を増やしたい!

「漁師になりませんか。」と声高に叫べるようになった担い手事業の担い手をみて、なんだか少し感慨深い気持ちになりました。

「革命ですよ。」 人生の師は、自分が始めた漁師学校がこんな形になったことを、これ以上の喜びはない、と言っていた。 一番素敵なのはシワの数だけ素敵さが増している師だけど(もちろん贔屓目100%)、担い手も、漁師も、スタッフも、関わっているみんなの笑顔が素敵です。 動画には一切関わっていませんが、志は一緒です。

漁師になりませんか。きっと後悔はありませんよ。

僕の専門は建築です。

でも、デザインができれば、チラシも作れれば動画も作れる。

論文ができれば、文章も書けるし、策略も立てられる。

建築をきちんと学べば、ワークショップもツアーもできるし、空き家改装だってできる。

地域に飛び込めば、面白い未来を作ることができる。

建築って、思いの外ユーティリティ。

 
 
 
bottom of page