何を書こうか、何も書かなくてもいいのか。
でも、誰かに何かを伝えるためではなく、
ただただ、その瞬間の自分が感じたことを、
刹那的にでも記すのをこのブログのコンセプトにしている。
だからこそ、何も帰結点のない言葉を記す。
商業的な理由がメインではなく、
精一杯心を込めて歌うというか語る人々をみて、
なんとなく、今ここの自分を考えたいなと。
10年は子供から大人になった時間だった。
でも、やっぱり、この時間は自分の根幹な気がしている。だから。忘れないためにも、記す。
自分は決して10年前の3月11日の当事者ではなかった。
そして、その後も1年くらいは、当事者ではなかった。
だから、本質的な、その瞬間を体験していない。
父母の実家は山形。他人事でもないけど、自分ごとでもない。そんな感じ。
でも、その後進学した大学院で、石巻と関わる機会ができた。
その瞬間とその後を経験した方々と、
一緒に、何もないところから、色々な話をしてきたとは思う。
笑顔で、一緒に企ててくれた友人は、震災で奥さんをなくしていたり、
浜で一緒に活動をしている皆さんは家がなくなっている。
もちろん、親戚や友人をなくした方も多いのだろう。
家をひとつ建てることの重みは最近ようやく理解した気がする。
そんな大変な状況にある現地の方から、
自分たちだけでできること以上のことを、
一緒にやってくれる人がいるからやれる。
と言ってもらえた。
そんなことを言われたら、何よりも、そこでの時間を大切にするし、
何もできない自分にできる最大限の努力を重ねる。
それが、自分の震災後の2年間くらい。
そこでは、本当に色々なことを学んだ。
建築家ってなんだろう。
社会的意義って何?
結局、クライアントからの要望を扱う仕事は求められず、
一緒に進んでいく視点をもった人が大切にされていたように思う。
そこが、クライアントワークとしての建築家の限界な気がした。
同時に、共謀することの力強さも学んだ。
そのまま、東北との縁が切れるのが嫌で、
博士課程の三年間も一緒にいたいな、と思った。
就職とかそっちのけで、ある意味、モラトリアムだったのかもしれない。
三年でモノにならなかったら退学するつもりで進学した。
そこからは、もっと多くの人と話して、もっともっと何かができないか、と模索した。
石巻の若手の皆さんと。
今となってはみんな若くないけど。
archiaidでなんだかなぁ、と思ってた仲間たち。彼らは石巻に移住し、今もその場でずっと、力強く動いている。
若者が集まって、未来について語る。あの時間は、石巻の活動の原点だった。その時の人々は、僕の人生に、とても多くのものをくれた。
はまぐり堂の亀山さん、ダルさん、ひろ兄。石巻2.0の勝さんともげ。ap bankの河合さん、FJのもじゃさんと島本。みんな、大好きな仲間。
この関係性がのちに、とても大きく効いてくる。
仲間ができ、そこで移住しようかと、本気で考えた。
でもその後、家庭に色々あった。
今年の1月に親父の七回忌を終え、なんだか少し、落ち着いた。
けど、当時は、放浪した故に約束した姿を見せられなかったことで、正直、何もわからなくなった。
人生において思考を停止したときは、多分そこだけ。
葛藤して、模索している時期に出会った大切な仲間と一緒に企てたのが、
今も続けている、石巻の漁師を育てるプロジェクト。
これは、僕の人生における、決して忘れることのない大きなプロジェクトだと思う。
色々な縁があって、齢28にして、ようやく、親を安心させれる仕事につけたけど、
同時に、東北で活動する未来にはどこか蓋をした部分は多い。
そのあと、模索している時期にあった仲間と、桃浦に、宿泊施設を作ることになる。
ここで出会ったのが、小林武史さんであり、apbank。
想いの多い、音楽の日を見て、
本当に、すごい人たちと一緒にいたんだなぁ、と思った。
でも、この一連の決断は、
全て、桃浦で出会った、今90歳の一人の漁師さんがいたから。
83歳くらいの時、
「俺はこの浜が好きだ。俺が死んだ後もこの浜が続いて欲しい。」
という、とても強い意志を聞いた。
そこで、彼は、他の地域から漁業の担い手を募集する「漁師学校」を始めた。
我々はそれをサポートした。
彼は言った。
「俺は花が咲くのを見届けることはできないけど、ここに種を植えることはできる。種を植えて、芽がでて、大きく育つ土壌を作ることができれば、この浜はきっと続く。」
命を超えて、浜の未来を見ている後ろ姿は、今までみた何よりも格好良かった。
今年も去年もできていないけど、3月末に、彼の家にお泊まりして、夜通しお酒を飲む時間を持っている。60才近い歳の差だけど、彼は我々を友達と呼んでくれている。
他の何よりも大切にしたい時間。来年こそは。
他人のために動くことを学んだ。
全体主義的かもしれないけど、個人を優先すること以上の意味を、教えてもらった。
10年経っても何も変わらない。
でも、色々考える。
そして、明日からまた頑張る。
ありがとう、この10年で出会った仲間たち。
そして、これからもよろしく。
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