2021年度も駆け抜けました。
コロナに始まりコロナに終わった2年間。
ゼミ配属になった学生たちとは、まともに飲みにもいけず。
佐藤研究室では、年4回の全体飲み会があり、どうやらそこで本音で話すのは、自分の人となりが滲み出ていた時間だったよう。そんな時間がなかったことは本当に残念だった。
やっぱり、大学にいるときは、大学の先生として振舞うから、どうも本当の自分を伝えきていなかった気がする。
なんでもない、ダメな人間なんだと。でも、味わい深い人なんだと。知らんけど。
笑ったり、ふざけたり、酒飲んだり。笑ったり。怒ったり。酒飲んだり。
でもまぁ、結局のところ、2年もいると、そんな側面も少なからずバレてはいたんだろう。
本当に優秀な子たちだった。
話したことは吸収していく。
伝えたことは表現されていく。
でも同時に、自分で推進していく人がそこまで多くなかったのも、あった。
結局、何を学ぶかは自分次第。
アホみたいな猪突猛進さがある人たちが多かったこれまでのゼミ生に対して、
冷静に物事を進める彼女たちは新人類だったし、
すごくドライに見えて、でもみんなシャイなだけで人恋しい人々だったのも面白かった。
多くのことを教えてくれた学生たちだった。
こういう人たちに、こういう風に教えると、こうなるんだ。
そして、4年間、きちんと教えきると、こうなるんだ。
自分をよくみて、よく考えてくれた学生たちだったからこそ、
名城に来てからの4年間を振り返る手助けもしてくれた。
ちゃんと勉強をしてこなかった自分だからこそ、
反省して、自分で学んできた。
だからこそ多くの解法を持っているし、一つ一つ、自分で作り上げてきた。
では、そんな佐藤から、多くのことを学んだみんなはどんな進路を描くのだろうか。
いつかきっと、
自分の足で歩いたり、責任を持つ時がくると思う。
そんな時に、この2年間で学んだ思想で解決してくれたら、教員冥利に尽きるのではないだろうか。
4年歩んだこと、そしてその成果を見せてくれたみんなのおかげで現在地が見えてきた。
ひとにはそれぞれ長所や得意分野がある。
そのことを強く教えてくれた学年でもあった。
優秀な人なんていない。人に劣っているなんてのもない。
ただ、得意なことで勝負するのがうまいか下手かだけ。
そこには、自分自身のメタ認知をできているか、という能力の差があるだけ。
などと、大切なことにも気づかせてくれたので、伝えた1年だった。
さて、M2。
どんな学生でも、研究室配属から頑張れば、周りなんか置き去りにできる。
大学2年間なんて関係ない。
自信を持って、社会で活躍できる人材に、なれる。
そんなことを、名城に移ってきた最初のゼミで語った気がする。
その結果を出してくれたのが、ゼミ配属後に4年間教え切ったM2の二人だった。
二人とも、設計課題は箸にも棒にもかからない感じだった。
気もきかないし、人間的にも未発達。
ゼミではそもそもの、人間的な指導ばかりが目立った。
でも、最後の1年は頼ることが多くなったし、後輩からちゃんと尊敬を集めていた。
そして、立派にアトリエ戦士として巣立っていった。
あの頃の宣言は、無事に有言実行されたのだろう。
4年あれば、本当に立派になって修了することができる。
設計課題でも卒業設計でも箸にも棒にも掛からなかった学生が、周りの優秀な同期を抑えて、トップで修了する姿は、心強かった。
他の大学との合同発表会でも、一際輝いた発表をきめていた。
尊敬する研究室の先輩方でもある大学教員たちも、驚き、単純に褒め称えるクオリティのものを作り上げていた。
2年で卒業は、やっぱり短い。
大学院には進んだほうがいいし、もう、うちの大学院に来ても、自信を持って修了させられる。気がついたら全国的にも先頭を走って修了できる。
その確固たる自信をもらえたのはありがたい。
ワールドカップもオリンピックも4年。
日暮さんも4年。
4年というのは長い期間だけど、間違いなく、彼らの人生を変えた時間だったのだろう。
今後への期待しかない。
自身も名城に来てから4年。
当初から見えていた世界は、きちんと実行できた4年であった。
さて、ここからは、未知の領域を、学生たちと歩んでいきたい。
できると想定していたことはできた。でも、想定外への挑戦はできなかった。
研究室のプロジェクトもメンバーも充実してきた現在、
自分が見えていない世界に、旅できるのだろうか。
ずっと一緒にいた2人がいなくなったからこそ、新しい挑戦をはじめようとも思う。
ともあれ、卒業・修了、おめでとう。
またいつか、あおう。
仕事でも会えたら最高だね。
屈託なくお酒を飲めたら、それよりももっと最高だね。
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