名古屋2年目が終わろうとしています。
「最近考えていること。」というこのシリーズは、その時々の自分のステートメントを記す場所です。
2016年に書いていたことは「地域の自助・共助・公助」。
2019年に書いていたことは「建築文化」。
2020年は「リサーチング・プレーヤー」。
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「建築文化」を紡ぎ、「今より面白い」場を育む。
それが自分の建築人としてのステートメントである。一昨年の末、学生時代から懇意にしている地域実践者と飲んだ際、研究・実践の両側面からローカルで面白い仕掛けをしていく、そんな青写真を20代の後半に描いていたことを思い出した。そういう意味で、夏に訪れた真鶴や、その後の稲取でのトミトとのオープンゼミなどは、考えることが多かった。
今の自分を「リサーチング・プレーヤー」と名付けてみようと思う。
それが現時点での自分が目指す建築との関わり方なのかもしれない。
「リサーチング」の部分は研究者として、日本のあらゆる農山漁村に学びのタネを求め、実践地で町や地域を調べるというもの。「プレーヤー」の部分は、ただデザインするのではなく、地域や文化、人との関わり方を丁寧に読み解き、その場の暮らしを少しだけ組み替えたり、リデザインすることで、今よりも「楽しい」を生み出すこと。それらを横断しながら活動をしていく。そんな仕事をしたいと思っている。そのためは、きちんとしたリサーチ(=研究)をする能力と的確なデザインを伴ったプレーヤー(=実践者)である必要がある。
自分が行なっていることは、「場を少しだけよくする」ことである。それは、現代社会において必要じゃないかと思うことを追求する「社会」に重点が置かれたものも、自分の暮らしを通して生活をブラッシュアップする「暮らし」に関するものも、本質的に必要なことや重要なことを紡いでいく「文化」を重視するものもある。それら実践を、社会への発信性を伴った実験として位置付けて繰り返すことを大切にしたい。
建築設計やデザインもあくまでそのためのツールであり、リサーチだってプロジェクトだって同じ。目的は綺麗な建築を作ることでなければ雑誌に載ることでも、賞を取ることでもない。建築・実践を通して何が言語化でき、何を派生させることができるのか。同時に、その他のそんな夢商売ができるのはきっと大学教員という職種の特異性でもあるんだろうけど、それはそれとして受け入れようと思う。
リサーチング・プレーヤーとして、他の人と未来の話をできるような実践を蓄積すること。それを大切にしていきたい。
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地域実践者としてこの一年を振り返ると、強く何かを発信するに至る一年ではなかったけれど、地道に継続した年だったように思う。
名古屋2年目で、ずっと関わっている石巻との距離の作り方がおぼろげに見えてきた反面、具体的なアクション数と密度は確実に減っている。「面白い」を生み出すこと、そして、地元と歩むことの密度をもう一度大切にしたい。
2018年から関わっている長野もしかり。もう少しコミットメントを高める必要があるのかなぁ、と。ローカルアーキテクチャーというか、木曽で建築の町医者的な存在になれたら、それはとても幸せなことなのかもしれない。
もう一つは山形県飯豊町。こちらはリサーチベースのまちづくり。今年は小さいながらも重要な一歩を踏み出した気がする。この動きを大切に、文化軸のこの取り組みもぜひ結実させたいところ。
「建築企画・設計・施工」に関しては、石巻の福祉施設が設計段階に入り力強いコラボレーターのナノメートルアーキテクチャーさんと案を練っている。建築を通して何を言語化するのか、今年が勝負の年になりそう。木曽では古民家の活用を、新潟でも空き家コミュニティ施設の企画がありそうで、建築企画・設計・施工を横断的に扱える人材としての修行をしていきたい。
また、名古屋の建築人として顔が知られ始め、色々な機会をいただいた一年だった。
昨年は名古屋でのレクチャーが2本、コンペ審査員を1つ、建築系愛知15大学共同企画展コーディネーター、愛知のローカルコンペ創設
と、自分の名前が前に出てくる場面にが多かった。お声をかけていただけることはとても光栄なことだし、今後も周りの人に面白いと思っていただけるよう精進していく。
2019年、一番の心境の変化は、自身の大学教員としてのあり方だった。大学教員になり始めた頃は、「学生は一緒に面白いことを仕掛ける対等な立場」であり、「何事も真剣にやっていればできるはずだ」という認識でいました。設計だって、実践だって、初めてやることはなんでも挑戦で、それには年齢なんか関係ない。それは、教員というよりも、「建築の先輩」としての振る舞いだった。
一方で、名古屋に来て学部生と歩むにつれ、「なぜできないのか」を考える時間も増えた。建築の勉強を初めて3年〜5年程度の若い学生と15年近い自身の間に差があるのは当然、ということにようやく気付く。そして、自分が「教員」としての立場にあるということを強く意識するようになり、研究室運営にも一定のリズムが出て来たように思う。
研究室運営においては、試行錯誤を繰り返して、ようやく当初に想定していた以下の一定水準の研究室体制が整ってきた。
・研究室で実社会と連動したプロジェクトを行うこと。
・4年生がきちんと卒業論文を書くこと。
・思考(卒論)と実践(卒制)を横断的に考えた卒業設計をすること。
・コンペ競争力のある研究室にすること。
何より、厳しい指導に対し学生がきちんと応えてくれたことが嬉しい1年だった。
最初に書いた自身の目標「世の中に面白いことをたくさん生み出す」。これは学生教育でも一緒。自分一人で面白いことをたくさん作ることには限界があるが、学生を育てて、学生も面白いことを作る人に育てられば、社会はきっともっと面白くなる。大いなる目標を見て、妥協せずに進もうかと思う。
2019年は、名古屋・研究室体制2年目としての動きが定着した。私生活もしかり。2020年は、定着をベースに「発展」させていく年にしたい。同時に、何かしら新しい「面白い」のタネも植えていく必要もある。まだ32歳。老け込まずに色々なことにトライしていく一年にしたいところです。
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