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卒業制作01 卒制ってなんだろう?

  • nobusato
  • 2024年12月16日
  • 読了時間: 2分

更新日:1月5日

卒制ってなんだろう。


これ、みんながどう捉えているのか、本当によくわからない。

なんのためにあるのかな?

学校の成績のため?

それとも学外で評価を受けるため?

よくわからない...。


他方、自分の中での基準は割と明快。

これは、面白い未来を描くための第一歩。

こんな世界線があったら、最高に面白いじゃん。という。


だから、卒制の最終に至る前のエスキスでは、

時に厳しい言葉も投げかける。

でも、昨今の学生は、授業、として受けていて、

学内の評価、

のために聞いているのかもしれない。


そうなると、途端に言葉は刃物と化す。

だから最近はもうしゃべらない。

見ている世界が違うと悲しい。


でも、俺が喋るのは、

社会を変える可能性がある提案に。

日本の建築を進める可能性がある提案に。

今、社会にない新しいものが生まれる可能性に。


そう決めた。


そもそも、建築家とは、

多分、設計が上手なだけの人を指さない。

そして、設計が上手なだけなのは、これから先はAIが担うだろう。


AIが得意なのは、これまでに試みられてきたことを、

上手に統合し、さらなる上手を生み出すこと。

1-10とか、10-100が得意。

でも、そもそものデータがないと何も動かないので、

0-1はつくれない。

であるならば、これからの建築人は、

0-1をつくることが、

人間が人間である条件な気もしている。


ということで、0-1を生み出すこと。

その挑戦をする。

というのが、卒制のあるべき姿なのかもしれない。

そんなことを、よなよな思うわけです。


建築家、

って、

次なる社会を見据える人なんだと思う。

だから、単純に上手な設計

は当然に、

今とは違う可能性を示してほしい。

とも思う。


建築は、哲学と技術でできている。

今の時代だからこその哲学か、

新しい技術としての建築、

を提案できたら最高だ。


それは実務でも空想でも構わない。


卒制では、そんな作品に出会いたい。

そして、一緒にワクワクできたら。 そんな想いで、年度末に勤しもう。

 
 
 

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