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目立ちたくないという心

  • nobusato
  • 2025年11月19日
  • 読了時間: 2分

超雑談です。


人はなぜ、目立ちたいと思うのだろうか?

それは決して悪くない。

しかし、なぜなのかがわからない。

だから考えた。


そもそも、学生時代は、評価を受けることが大切であった。

なまじ、きちんと授業に出ることができない学生だったからか、

成績という形で評価を受けることはなかった。


高校時代、部活のレギュラーで、

学内でもそこそこの認知をされていたので、

承認欲求は全くなかった。

恋愛も楽しんだ。


大学に入ってからも底知れぬ自信はあったので、

特段周りの目を気にせず自由に生きる。

自由に楽しく、その場の人と。

でもバイトしつつ、設計はちゃんとやってそこそこの評価。成績は常にギリギリ。


大学後半はきちんと設計で評価を得る。

サークルでは馬鹿にされる。

後半戦、きちんと評価を受けつつ、

設計にアプローチしつつも、どこか不完全燃料。


でもそのまま卒制をそつなくこなす。


その後に東日本大震災。


たまたまやった卒制は宮城県気仙沼の漁村再生。


卒業式もない。


どうにか、自分にできる関わりしろはないかと選んだ筑波大学。

大学院生活以降が自分の人生を決めることになる。


と、まあ、続きはいつか書く続編で。


結局、目立ちたいというのは、

評価を受けることで安心したいということなのだろう。


だから、賞を取ったり、目立つことが嫌だった。

本質的なことをやって、知る人ぞ知る。が一番格好良いなどと

青い思いも持っていた。


しかし、賞を取るとは知ってもらうこと。

なぜ頑張るか、というと、自分が面白いと思っているから。

そしたら、全力で試みた面白い、は広く知ってもらった方がいい。

だから、賞があるんだ、と自己理解したのが36歳。

根本思想は目立ちたくない。

でも、試みた事実は知ってほしい。


自分が賞を出したり、目立つのは、根本的にはしたくない。

でもする。

それは、思想や試みが社会に実装されて欲しいから。


ということで、

目立ちたくはありませんが、

連載が始まったり、


執筆をしてたりが続いています。

 
 
 

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