目立ちたくないという心
- nobusato
- 11月19日
- 読了時間: 2分
超雑談です。
人はなぜ、目立ちたいと思うのだろうか?
それは決して悪くない。
しかし、なぜなのかがわからない。
だから考えた。
そもそも、学生時代は、評価を受けることが大切であった。
なまじ、きちんと授業に出ることができない学生だったからか、
成績という形で評価を受けることはなかった。
高校時代、部活のレギュラーで、
学内でもそこそこの認知をされていたので、
承認欲求は全くなかった。
恋愛も楽しんだ。
大学に入ってからも底知れぬ自信はあったので、
特段周りの目を気にせず自由に生きる。
自由に楽しく、その場の人と。
でもバイトしつつ、設計はちゃんとやってそこそこの評価。成績は常にギリギリ。
大学後半はきちんと設計で評価を得る。
サークルでは馬鹿にされる。
後半戦、きちんと評価を受けつつ、
設計にアプローチしつつも、どこか不完全燃料。
でもそのまま卒制をそつなくこなす。
その後に東日本大震災。
たまたまやった卒制は宮城県気仙沼の漁村再生。
卒業式もない。
どうにか、自分にできる関わりしろはないかと選んだ筑波大学。
大学院生活以降が自分の人生を決めることになる。
と、まあ、続きはいつか書く続編で。
結局、目立ちたいというのは、
評価を受けることで安心したいということなのだろう。
だから、賞を取ったり、目立つことが嫌だった。
本質的なことをやって、知る人ぞ知る。が一番格好良いなどと
青い思いも持っていた。
しかし、賞を取るとは知ってもらうこと。
なぜ頑張るか、というと、自分が面白いと思っているから。
そしたら、全力で試みた面白い、は広く知ってもらった方がいい。
だから、賞があるんだ、と自己理解したのが36歳。
根本思想は目立ちたくない。
でも、試みた事実は知ってほしい。
自分が賞を出したり、目立つのは、根本的にはしたくない。
でもする。
それは、思想や試みが社会に実装されて欲しいから。
ということで、
目立ちたくはありませんが、
連載が始まったり、
執筆をしてたりが続いています。



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