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目立ちたくないという心

超雑談です。


人はなぜ、目立ちたいと思うのだろうか?

それは決して悪くない。

しかし、なぜなのかがわからない。

だから考えた。


そもそも、学生時代は、評価を受けることが大切であった。

なまじ、きちんと授業に出ることができない学生だったからか、

成績という形で評価を受けることはなかった。


高校時代、部活のレギュラーで、

学内でもそこそこの認知をされていたので、

承認欲求は全くなかった。

恋愛も楽しんだ。


大学に入ってからも底知れぬ自信はあったので、

特段周りの目を気にせず自由に生きる。

自由に楽しく、その場の人と。

でもバイトしつつ、設計はちゃんとやってそこそこの評価。成績は常にギリギリ。


大学後半はきちんと設計で評価を得る。

サークルでは馬鹿にされる。

後半戦、きちんと評価を受けつつ、

設計にアプローチしつつも、どこか不完全燃料。


でもそのまま卒制をそつなくこなす。


その後に東日本大震災。


たまたまやった卒制は宮城県気仙沼の漁村再生。


卒業式もない。


どうにか、自分にできる関わりしろはないかと選んだ筑波大学。

大学院生活以降が自分の人生を決めることになる。


と、まあ、続きはいつか書く続編で。


結局、目立ちたいというのは、

評価を受けることで安心したいということなのだろう。


だから、賞を取ったり、目立つことが嫌だった。

本質的なことをやって、知る人ぞ知る。が一番格好良いなどと

青い思いも持っていた。


しかし、賞を取るとは知ってもらうこと。

なぜ頑張るか、というと、自分が面白いと思っているから。

そしたら、全力で試みた面白い、は広く知ってもらった方がいい。

だから、賞があるんだ、と自己理解したのが36歳。

根本思想は目立ちたくない。

でも、試みた事実は知ってほしい。


自分が賞を出したり、目立つのは、根本的にはしたくない。

でもする。

それは、思想や試みが社会に実装されて欲しいから。


ということで、

目立ちたくはありませんが、

連載が始まったり、


執筆をしてたりが続いています。

 
 
 

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