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川島範久さん:淺沼組名古屋支店リニューアルプロジェクト「GOOD CYCLE BUILDING 001」をみて

都市の中で自然とともにあるということの意味とは。

川島範久さん:淺沼組名古屋支店リニューアルプロジェクト「GOOD CYCLE BUILDING 001」をみて


人々はその昔、海沿いや谷地、山の辺から人類としての営みを始めた。その後、自然に囲まれた場所から盆地に居住域を広げることになった際、母なる自然と離れる不安を払拭させるように「庭園」を発達させることで、各人が心を落ち着かせたとされている(樋口忠彦:日本の景観)。

では、現代に生きる我々は、どのように自然との距離を作り、心を平穏にするような生き方を模索してきたのだろうか。


都市空間の密度をあげ続けた現在社会では、自然との関係が模索される機会は極端に少なかった。確かに、都市にも公園や街路という緑地空間は存在しているが、それらは公共サービスの一環であり、量的にも質的にも十分とは言えない。だからこそ、人々は休日になると山に行き、大きな公園で遊び、そして日々の無機質へと帰って行く。

日常の中での自然との距離の取り方は、現代人が忘れていた宿題とも言えるのではないか。

都市というものは、どこかヒューマンスケールを超えたものとして捉えられがちである。ビルも同様で、仕事場というものはそもそも、心を安らげる場所ではない。経済を成長させる役割を担ってきたオフィス空間が積層された日本の都市空間においては、それは当然の帰着点だったのかもしれない。ただ、時代は少しずつ変わってきている。


この建築は、自然との関係が切り離された都市のビルディングにおいて、自らの手で自然と触れる方法を力強く表明したプロジェクトであった。自らの権利と技術で自然との距離を測り直すことで、都市の中の建築として示唆に富んだ佇まいを見せていた。


そもそも、ヒューマンスケールを超えたものとして認識しがちなビルだって、部材や素材の集合体である。部材や素材ひとつひとつを、人が触りやすいような形に戻すことで、ビル自体を個々人の関わりの集積に戻すこともできる。自然や人間社会から生まれる素材が、モノとしての存在感を放ちながら佇むことで、ついつい壁や地面、家具を触れたくなる。そんな些細な操作から全体を統合した本作は、実に多くのコラボレーターにも支えられていた。ただ、幹となる理念がしっかりしているから、建築の全体像は大きく見え、そして個々のデザインが果実のごとく瑞々しく表現されていた。


執務空間含め、自然とともにある職場環境はきっと仕事をクリエイティブにするし、ひいては、そこで働く人々に土や自然との距離を考えることを促す。日々の仕事を通して、彼らは自分の住宅における土や自然との距離の取り方も、きっと考え直すのではないだろうか。そんな期待感すら感じた。


願わくば、この建築が、単なる自然を取り入れた建築としてざっくりとした評価を受けるのではなく、もっと具体的な効果を伴った建築として評価を受けて欲しい。

ただの環境や自然主義ではなく、それが、人間生活にとって根元的に必要なものであり、だからこその経済効果や精神的効果があるとわかれば、都市はもっと生き生きとして行く。技術的・精神的な効果が検証され、もっともっと多くの事業者へと思想の幹が広がって行くことを、期待したい。




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